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場の理論(4)
エピソード記憶とタグ付け
(株)アーキネット代表 織山 和久
時間は実在しない
二次方程式に必ず根を求めるために、虚数が発明されました。この虚数が実在しないのは直観的にも理解されますが、よく考えれば実数も四則演算ができて順序を定めるために発明されたもので、実は自然には実在しないことが分かります。時間も数と同様で、実は出来事の間を関係づけるために発明されたものであって、本質的に実在するものではないと哲学や物理学でも議論されています。それを対応するかのように、脳研究でも時間は、場所と同様にエピソード記憶のタグとして、進化の過程で獲得された機能として捉えられています。つまり人の脳は、いろいろな感覚・経験データをエピソードとして関係づけ、その記憶に特定の時間や場所のタグを割り当てて記憶し、必要なときにそうしたタグを手がかりに記憶を生かす、という仕組みだと考えられています。
記憶のメカニズム |
エピソード記憶
このように考えてみると人生も、生まれて死ぬまでの単調な時間の流れととらえるのではなく、様々なエピソードが結びつき合って記憶として重なっていく状態としてとらえられます。そうすると例えば死というのも、そこで時間も世界も終わってしまうのではなく、周りの人々の間で一連のエピソード記憶として生き続け、ただその後の直接の関わりから生まれるエピソード記憶としては更新されない状態とも考えられます。こうした考え方からすると「人生を豊かに送る」というのは、エピソード記憶を豊かにすることと言い換えられます。さらに、そうした素敵なエピソード記憶も適宜思い出せるように、エピソード記憶に「いつ」「どこで」という時間や場所のタグが紛れなく付けられることも、エピソードそのものと同じように重要になってきます。せっかくの素敵な経験も、後で何も思い出せないのでは残念でしょう。
どこだか曖昧な環境
これまで場の理論として、(1)長く暮らせる規制区域を選ぶ、(2)街との関わりを大事にする、(3)建築も微地形を生かす、ということをお薦めしてきました。それ自体、居心地良く暮らすには欠かせない条件です。朝、美しい街並みを散歩して清々しい気持ちになる、街行く人々と笑顔で挨拶を交わして立ち話も楽しい、通勤も楽で仕事も気持よく捗る、住まいの内外で通る風が優しく葉擦れの音が心地良い、といった素敵なエピソード記憶もより豊かになる土壌となるでしょう。
画一的な団地 |
さらにこうした場の理論を生かした住まいを選べば、様々なエピソード記憶に紛れのない場所のタグをつけやすくなることにも注目されます。反対の例として、延々と同じ建物が均等に配置される巨大マンションを考えてみましょう。初めて訪れたり、酔っ払ったりしたとき、○棟○号室といった記号が頭になければ、同じ形の建物と同じように切りとられた空や空地、延々と続く廊下に並ぶ無数のドアを前に、自分がどこにいるのか分からなくなります。そしてどの住戸も同じような間取りで同じ向きにずらっと並んでいて、住まい方も画一的になりがちです。間違えて他のお宅の玄関に入っても、しばらく分からないぐらいです。このようなどこでも同じ、どこだか分からないような場所ばかりになると、エピソード記憶のタグとしては他と紛れてしまってうまく機能しないのではないでしょうか?子供の頃、キャッチボールでご近所の窓を割ってしまった、といった記憶にしても、巨大団地ではどこでやらかしたかが曖昧になります。こうなると自分が自分であることの手がかり、つまりエピソード記憶のタグが区別つかない状態になりがちです。巨大で画一的な街路や建物を目の前にしたときに、何とも言えない落ち着かなさや不安を抱きます。その不安感は、格子状の幹線道路や建物の非人間的なスケール・デザインとともに、こうしたエピソード記憶のタグ付けの困難さにも由来しているのかもしれません。
タグづけしやすい環境
一方、場の理論を踏まえて、(1)長く暮らせる規制区域を選ぶ、(2)街との関わりを大事にする、(3)建築も微地形を生かす、という住まい選びをしたとしましょう。そうすると普段の通り道も場所ごとにほどよい変化があります。
変化のある道筋 |
多少湾曲や傾斜しながら溜まり場や広場につながるといったようにメリハリもあり、歩いているうちにゆったりした住宅街から賑やかな商店街へと街並みや並木も変化していますから、道筋のどこにいるかもはっきり分かります。統一感のある街並みでも、住宅や商店の外観はそれぞれなのでどの建物の前かも覚えられます。低層の街ですから、遠くには目印(大木や東京タワー、山並みなど)も見えて方角もつかめます。住まいも微地形を生かしていれば、街並みが整う中でも近づくほどに建物や外構の特徴ははっきりしていますから、「あのトウカエデの手前で」と数十cm単位で場所も特定できます。したがってこうした住環境であれば、エピソード毎に、道のどのあたり、方角はどっち、建物周りならどこ、といった場所のタグは紛れなくつけることができます。
加えて、こうした環境であれば「行き交う人々が衣替えをして、キンモクセイの香る頃、そよ風が爽やかな朝だった」と嗅覚、触覚、内生感覚も総動員されます。したがって場所のタグだけでなく、「いつ」といった時間のタグもつけやすいことでしょう。
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こうしてみると、場の理論を踏まえた住まい選びは、エピソード記憶をより豊かにして場所・時間のタグづけもしやすくなります。そして、それだけ自分たちの人生を豊かにしてくれることが期待されます。
筆者プロフィール
株式会社アーキネット代表。土地・住宅制度の政策立案、不動産の開発・企画等を手掛け、創業時からインターネット利用のコーポラティブハウスの企画・運営に取組む。著書に「東京いい街、いい家に住もう」(NTT出版)、「建設・不動産ビジネスのマーケティング戦略」(ダイヤモンド社)他。